コメント

彼らに言いたい。
あなたたちは最初の判断を間違えた。
こんな国に来るべきではなかったのだ。
次に詫びたい。
だって僕もこの制度とシステムを黙認しながら下支えする国民の一人だ。
だからこそ多くの人に観てほしい。
観て気づいてほしい。

森達也(映画監督・作家)

「もしこれが自分の家族だったら?」と想像しながら観た。難民を助けるどころか、拘束し、殺す国。アクリル板越しに様々な国籍の人々が登場するが、カメラが映し出すのは欺瞞に満ちた我々日本人の表情でもある。

七尾旅人(シンガーソングライター)

入管というブラックボックスに閉じ込められた難民申請者たちの「人間として対応してほしい」「日本で妻と暮らしたい」という切実な思いを世界に届けるドキュメンタリー。USHIKUを通して入管の現状に興味を持ち、声なき難民のために声をあげるきっかけになればと強く願う。

宮島ヨハナ(人権アクティビスト)

面会室のアクリル板越しに重ねられた手と手。
あちらとこちらで、かすかに体温を伝え合う。
どんな言葉で被収容者を罵ろうとも、彼らが「人間」であるという事実は消しされない。

日向史有(ドキュメンタリー監督)

映画を見て、立ち上がれない衝撃をうけた。
難民として故国に帰れなくなった人が日本に来て、入国管理センターという釈放時期不明の拘留所に何年も拘束され、精神と肉体が壊れてゆく。日本国内に釈放されても、法律によって、仕事と収入が禁止され、自活する術はない。日本国家自身が、「自分がその立場におかれたらこの不条理がいかにすさまじいか」について想像力を持ち、制度自体を変えない限りこの不条理はなくならない。そういう自浄力を失った国に日本がなっているなら、日本国家に大きな未来は無いと思う。

東郷和彦(元外務省欧州局長)

「ここは 、刑務所みたい。でも刑務所の方がまし。刑務所では刑期が決まっている 。でもここは、いつ出られるか分からない...」。
在留資格のない外国人を収容する施設。法律によればその期限は退去するまで、無期限だ 。「帰れ、帰れ」という。何処に?帰れば迫害されるという難民申請者の訴えもほとんど受け入れない日本。閉じ込められた一人一人の絶望にカメラが迫る。

申 惠丰(青山学院大学教授(国際人権法))

裁判官の審査もなく人間を無期限に収容する入管施設の闇は、途方もなく深い。難民申請を拒絶し、人権を踏みしだくその蛮性は、社会の無関心にも支えられて増殖してきた。被収容者がアクリル板越しに発する衝迫の訴えは、私たち一人ひとりに向けられている。現代日本に巣食う、暗澹たるこの不正義を正視しなくてはならない。

阿部浩己(明治学院大学国際学部教授)

入管所での暴行のビデオに何度も目をおおった。
これが「おもてなしの国」日本だ。
他国の人権問題をとやかく言う前に自分たちが住む日本で起きている人種差別と人権侵害に目を向けよ。

菱山南帆子(市民運動家)

とにかく“打ちのめされた”。このドキュメンタリーを制作した監督が日本人ではなく、外国人だったことも私の衝撃をいっそう大きくした。「なぜこんな自国の重大なテーマを私たち日本人ドキュメンタリスト自身が向き合い、きちんと映像化できなかったのか」という恥ずかしさと悔しさである。2021年山形国際ドキュメンタリー映画祭で私が観たなかで、最高の作品である。

土井敏邦(ドキュメンタリスト)

映画「牛久」には、異なったカメラによる二種の映像が組み込まれている。ひとつはもちろん、証言者たちが顔を出し、名前を明かして語る面会室の映像だ。隠しカメラで撮られたこの映像は、理不尽な状況に置かれ、証言が招く更なる危険を覚悟の上で語る言葉の重さを伝える。そしてもう一種の記録映像は、証言者が起こしている訴訟のために弁護士が「召喚」(subpoenaed ) し、裁判所が命じてもたらされたものだ。これはこの施設、牛久の「東日本入国管理センター」が常時、記録して保管している「資料」だろう。抵抗する証言者を係員が大声で威嚇しながら数人がかりで拘束しようとする長い時間。怒声の中に「制圧 ! 」という大声がある。この「業務用語」。この場面に、「個人」を消した係員の身体と言葉に、システムと強圧によって「他者」を排除しようとする「国家」が現われる。これがニッポンなのだ。

大久保賢一(映画評論家)

日本が難民条約に加入して40年間で、難民として認められたのは、わずか900人弱。国連から人権条約違反、国連憲章違反との批判に耳を貸さず、今も難民を長期収容し、強制送還し続けているニッポン。国際社会から日本人の人権感覚が問われている。20年以上も難民認定を待ち続けている人々がいる。迫害から逃れて希望をもって来日した難民を友人として受け入れる用意は、市民社会はできている。次は、政治が変わる時だ。

有川憲治(NPO法人アルペなんみんセンター 事務局長)

隠し撮りと、収容された外国人たちが受けた数々の人権侵害の告白という緊張感の連続の中で、ようやく「仮放免」が認められ、迎えに来た家族と抱き合うシーンが表れる。観ている私たちも、思わずフーッと息を吐き、肩の力が抜ける。自由と人権の大切さを、身体で覚える。無関心と差別が蔓延る日本に、素晴らしい「知る権利」の教材をつくってくれた監督に感謝したい。

高橋清貴(恵泉女学園大学教授)

日本政府は、国内における高度な人権規準の実現を宣誓して、国連人権理事会の理事国となった。 もちろん、これは管轄権の及ぶ地域に住むあらゆる人を対象にすることが国際的な常識である。 しかし「牛久」が明らかにしたことは、日本における人権保障の目もくらむような「落差」だ。 こうした難民申請者や外国人の処遇の現実に私たちはしっかりと目を凝らすべき時である。

上村英明(市民外交センター共同代表、恵泉女学園大学教授)

牛久に収容された人々の証言はその過酷な状況を物語る。「母国で死んだほうが良かった」「毎日自殺を考える」。
日本の入管の問題を、このままにするのも、変えていくのも、私たち市民の意思と声にかかっています。
入管で起きていることをまずは知り、私たちの問題として、どう捉え行動するのか、一緒に考えませんか。

中村絵乃(認定NPO法人開発教育協会 事務局長)

外国人収容所では、暴力・自殺・放置死・難民の強制送還が起きている。だが、収容所では写真などがいっさい禁止され、情報公開を請求しても、黒塗りの紙でしかかえってこない。無法かつ暗黒の世界で、収容者はもがき続けている。そこにひとすじの光をあてたのが、『牛久』である。
アメリカ合衆国は、すぐれたドキュメンタリーを数おおくうみだしてきた。映像作家がタブーに挑戦しつつ、社会の暗部をえがきだしているからである。その伝統をうけついだ作品が、日本にあらわれた。日本の土壌に伝統の種がまかれ、花をさかせたのである。

山村淳平(医師、外国人収容所面会支援者)

知ることがどれほど大切か、知らなければならない現実があるのだと思い知らされました。私たちは「法の支配」の枠外に置かれた人たちの声を真摯に聞かなければならないのです。

阿古智子(東京大学大学院 総合文化研究科教授)

スクリーンの前に座れば、我々は、「牛久」の、あの狭い面会室のアクリル板の前に連れていかれる。そして人間が絶望の淵に立ったときの、作り物ではない眼差しを、息遣いを、深い沈黙を知るだろう。思想信条にかかわらず、すべての日本人が目を逸らさずに見るべきだ。世界はすでに「牛久」を目撃している

佐々涼子(ノンフィクション作家)

『牛久』を観ると、日本政府が難民申請者に対して、どんな「おもてなし」をしているのか、じっくりと考えてしまう。作品に登場する人々は、紛争や迫害から逃れ、命の安全を確保しようと日本にやってきたのだ。しかしいざ日本に来てみると、罪を犯したわけでもないのに、無期限で拘留される。たとえ「仮放免」となり、外に出られても、働くことも許されず、「国に帰れ」と言われ続ける。日本政府の難民申請者に対する対応は、精神的拷問と言っても過言ではない。多くの人が本作品を観て、この問題について議論が活発になることで、一刻も早くこの状況が変わることを願う。

ジョン・ウイリアムズ(上智大学外国語教授、映画監督)

この国で何が起こっているのか? これは、どこか遠く離れた国のできごとではない。私たちの隣 人に向けられた不当な人権侵害の記録なのだ。カメラを武器に変えた映画監督と、命をかけて告 発する入管の収容者たちの声にすべての日本人は耳を傾けなければならない。ぜひ多くの人に、 痛みと悲しみと、そして怒りを共有してほしい。

毛利嘉孝(東京藝術大学教授、社会学者)

これだけ言っているのに、まだ目が覚めないのか。難民申請者は犯罪者ではない。密室で行われてきた行為が、覚悟の上、映像で白日の元に晒された。これをみてもまだ見て見ぬふりをするのか。民主主義を標榜する日本。もうこれ以上沈黙してはならない。彼らに全てを負わせて、本当に良いのか。禁じ手を犯してまでも伝えなくてはならなかった現実から目を背けるな。

堀 潤(ジャーナリスト)

日本社会で「入管」の人権侵害によって苦しめられている人たちがいることをどれほどの人が知っているだろうか。本作では日本の入管収容の実態が克明に描かれている。国家が難民申請者など当事者の事情を棚に上げ、外国人の命と人権を顧みずに強制送還することだけを重視している現実と、「帰れ」と迫られても帰ることのできない彼らの切実な声を。

鎌田和俊(BOND〜外国人労働者・難民と共に歩む会〜事務局長)

映画『牛久』は、茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」に収容されている難民申請者の外国人を通じて、法務省・入管庁の管理、監督下にある入管施設における民族差別、人権侵害の実態を赤裸々に告発している。2021年3月6日、DV被害からの救済を求めて自ら出頭し、名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性が「詐病」扱いされ病死した。日本に救済を求める外国人を虐待する入管行政、それを許している日本社会に真の民主主義はない。映画『牛久』は、被収容者の吶喊をもって、鋭く日本社会を切開した傑作である。

松井保憲(START~外国人労働者・難民と共に歩む会)

1980年後半頃に、東南アジア・中東から来日した外国人が日本で生活している人と知り合いました。土木・建築現場での作業員と多く出会い共に同じ作業をし仲間と思っていたのですが、突然現場に現れなくなっていた。バプル後期で90年代にバブルが崩壊し外国人が帰国・収容された。その事を後で知り不法滞在者、オーパステイ状態で働いていた事は入管も分かっていましたが、外国人を労働者でなく日本は彼等を使い捨てにして安く労働者不足を補うために利用した。急激なバブル崩壊により外国人が先に解雇され邪魔者とし収容・強制送還して出国を促している、日本は外国人に対して優位な立場を利用し経済の調整弁としての存在であり人権を認めない姿勢が統いています。それがこの映画ドキュメンタリーとしてリアルに表現されています。81年難民条約批准も難民としてよりも労働者不足対策の一環として利用されている事が根底にある悲劇が繰返される現実がリアルな表現で収容者面会での体験が鮮やかに蘇る。

松澤秀延(在日クルド人と共に)

このドキュメンタリー映画は面会・差し入れなどのボランティア活動をしているわたしたちにとってもショッキングで、被収容者たちの置かれている状況がいかに厳しいものであるかがなおさら感じられました。かれらの人権や自由の不在を訴えるために、一生懸命に取材した製作者に心から敬意を表したいと思います。そして、わたしたちには理不尽な試練に苦しんでいるかれらのために手を差し伸べることが求められていると思います。

加藤健司(牛久の友の会)

入管施設に収容された非正規滞在外国人が、顔も人格も個性もある個人として、収容所の中から抗議する姿を、この作品は描いている。理不尽な扱いに抗う者を再収容する、入管の「報復」を阻止するには、この作品を観た人たちが、彼らの声に応答し、日本政府に対して声をあげる必要がある。「これ以上、国家は人を殺すな」と。

稲葉奈々子(上智大学教員)